コラム

【ホテル今昔物語】バブル前後は、激動の時代だった!(前編)

2016.03.28

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人的資源が豊富になったことから、日本国内では資産の効果的な運用法としてホテル経営に乗り出す企業が多くみられるようになりました。他業種からの参入も相次ぎ、経営の多角化が特徴的なバブル期の前後で、ホテル業界はどう推移していったのでしょうか。




ホテルが不動産投資の対象に!

バブル期を迎えると、都市部に限らずリゾート地でも、複合施設としてのホテル開発が進むようになりました。ホテルはかつて立地産業といわれ、立地の良し悪しで経営が左右されると言われていました。しかし、インフラの整備が一定レベルに達してからは、そういったことを考えずにホテル建設ができるようになったのです。低層階に商業区画を設けるなど、新しい街づくりの一部としてのホテルの顔も持つようになったのです。

バブル景気がホテル経営を支えていた

バブル期には、金融機関が競い合って巨額の資金を提供し、プロジェクトに参画していました。企業の資産形成や税金対策としても不動産投資が行われ、ホテルを所有するという形も多く取られました。資金調達には、銀行借り入れだけではなく政府系金融との協調をはじめ、会員制度や土地信託など様々な方法があり、困らない環境でした。今では考えられないですよね。

また、それまでとは違った仕組み、フランチャイズや運営委託方式を採用することで、異業種からの参入が比較的容易になりました。既存のホテルで増床や改装といった設備投資を余儀なくされたホテルは、それをいい機会として最新鋭の設備や装備を整えたことにより、ホテルは重装備を競い合う傾向になりました。豪華絢爛な部屋が今でも数室残るホテルがありますが、それは当時の名残かもしれません。

経営が潤う反面、業態の境界が歪み、暗雲が立ち込める

バブル当時は、ホテル建設ラッシュで客室も宴会場も供給過剰になるのでは…と懸念されていましたが、好景気による余暇活動や経済活動の活発化で、企業による宴会や宿泊が当たり前になっていたことから、ホテル利用が活発に行われました。バブル期はいいことばかりではないか!と感じてしまいそうですが、段々とビジネスホテルがシティホテルのような働きをし始め、業態そのものの境界があいまいになってきたのも事実です。更に、豪華さを競い合い、必要のない重装備をしてしまったことから設備投資費が莫大になったのも事実。ここで、暗雲が立ち込めてくるのです。

バブル崩壊後、ホテル経営も苦境に…

バブルが崩壊してしまった際に、真っ先に削減されたのが企業の交際費と広告費、そして交通費の「3K」でした。ホテル経営を直撃したのが、まさにその交際費と交通費。今までであれば出張の度にホテルを利用していた顧客が、そもそも出張が無くなってしまったり、商談を自社で行うようになったことなどから、ホテルを利用する絶対数が激減してしまったのです。

また、賃下げやリストラによって、個人の経済活動自体が冷え切ってしまい、その結果、余暇にホテル利用をする人が消えてしまったわけです。