人的資源が豊富になったことから、日本国内の資産の効果的な運用法としてホテル経営に乗り出す企業が多くみられるようになったバブル期(前編参照)。そのバブルが崩壊してしまってから、日本は激動の時代へ突入しました。バブル崩壊後から現在までのホテルを取り巻く環境の変化による影響、生き残りの厳しさについて知っておきましょう。
売上の減少から資金繰りが苦しくなる
個人のホテル利用が遠ざけられるようになった理由として、景気低迷が主な原因ではありますが、それ以外にも挙げられるものがあります。それは、少子化と晩婚化です。これは、宿泊部門の冷え込みと同時に、婚礼部門や料飲部門の利用も激減してしまった要因に関わってくるといえます。需要が減り、供給は多いまま…それでも利用してもらうにはどうしたら良いか…そう、低価格化です。
この低価格化に拍車がかかったことでホテル経営は更に苦境に立たされます。稼動率の低下で、ただでさえ日々の売り上げが減少しているにも関わらず、客単価が下がってしまっていることから売上の減少は避けられない状況となりました。さらに、重装備ブームのツケがまわり、その設備の維持管理にも多額の費用が必要となりました。
急務となった不良債権の処理
過剰融資によって発生した不良債権の処理から、ホテルの経営者には厳しい経営判断が求められるようになりました。バブルが崩壊してしまった混乱期に、国内のホテルの多くは親会社やオーナー会社の土地や建物といった資産の流動化に対処することに追われ、ホテル経営の根本的な改革が後回しにされてしまいました。
国内ホテル産業全体が、バブル崩壊による不良債権処理に追われ足踏みをしていたことから、海外の資本のホテルが日本へ進出してきたことに対してもなんら対応することが出来ず、更に対策も打てずに一本取られてしまう結果を招いたのです。
苦戦する御三家に対し、新御三家の登場
客室の稼働率を何とかあげようと御三家も利用価格を徐々に引き下げていきました。一方、新御三家と呼ばれる外資系のホテルがその頃に開業しました。フォーシーズンズホテル椿山荘、パークハイアット東京、ウェスティンホテル東京です。すでに外資系ホテルが成功を収めはじめていたこの時期にこの新たに登場した3ホテルがなぜ新御三家とまで言わしめたかというと、対照的な料金設定にありました。
圧倒的な客室面積を誇るこの3ホテルは、宿泊価格をあえて都内有数の高値に設定したのです。この姿勢が消費者にラグジュアリー感を与えることとなり、価格の低下で質やサービスそしてブランド感まで低下してしまった御三家に変わり、重要な会議や来客等「格の違い」を見せたい用途に新御三家のホテルが積極的に利用されるようになったのです。
今もなお続く高価格化と低価格化
バブル崩壊後、無駄を徹底的に省いてコストカットを計った新形態のエコノミーホテルが軒を連ねるようになりました。人件費を可能な限り安く、宿泊に特化したホテルはお手頃価格を最優先に経営がなされています。そんなホテルの低価格化が進む一方で、ラグジュアリーホテルの需要も一定数あるのが事実。業態の中では高価格化と低価格化の2極化が進んでいると言われており、この傾向は現在も続いています。